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Spring No.25

Letters from Abroad
--- 青年海外協力隊員からのお便り ---
「タンザニアから
  こんにちは」


濱崎 静夫
(職種:漁具・漁法)

(上)乗船を体験される佐藤日本大使ご夫妻
(中央)バガモヨのドイツ商館跡地

(上)筆者が口にしているのは現地食のウガリ
(下)協力隊員がお世話になった家族と

タンザニアの一般事情
 タンザニアという国を知っていますか。アフリカ東海岸の赤道直下の国ケニアと国境を接し、インド洋の海岸線と大きな3つの湖に囲まれた、日本の国土の2.5倍を有する人口約2,900万人の国です。ススマ族、マコンデ族、チャガ族、ハ族、ニャムウェジ族、ザラモ族、マサイ族等多くの部族が住んでおり、少数のアラブ系、インド系、ヨーロッパ系の移住者もいます。現地語はスワヒリ語です。スワヒリ語は、原住民語のバンツー語とアラビア語、英語等の外来語が混合してできた言語で、スワヒリとはアラビア語で東海岸という意味です。
 国民の60%がイスラム教を信仰しているので、朝早くからアラビア語の放送が流れ、老人たちは町のいたる所にあるモスクにお祈りにでかけます。12月中旬から1月中旬にかけての断食(ラマダン)中は、日没まで食べ物も水も一切口にすることは許されません。日が落ちれば、家族みんなでウガリというとうもろこしの粉に湯を加えてこねた日本のおもちのようなものを主食にして、ワイワイ言いながら食べます。

タンザニアの交通事情
 タンザニアの人々の主な交通手段は、徒歩か中国上海製の自転車です。たまに日本製の250ccオートバイを目にすることもあります。公共の乗り物としては、日本の中古の中小バスが活躍しています。どういう意味かわかりませんが「ダラダラ」と呼ばれており、車掌がすし詰め状態のバスのドア口から半身を出して、けっこうなスピードで次から次へと走っています。バス停は一応あるのですが、交通警官がいなければ途中でも乗り降りできます。料金は、100〜150シル(日本円で約20円〜75円)で、始発地から終点地まで行くことができます。
 タクシーは、どれもこれも日本製の中古車で、日本語の名前が書かれた乗用車や幼稚園のバスが走っています。高知からやってきた車もあり、「土佐市消防組合」、「高知県教育委員会」と書かれた中型バスを見かけました。遠く離れた東アフリカのタンザニアで、高知の車に出会うとは驚きました。
 主幹道は、日本の援助で日本の建設会社が現地の人とともに造ったものです。街灯と信号機は日本製です。タンザニアに唯一ある歩道橋も日本の援助で造られました。このようにメイド・イン・ジャパンが多く走り、日本の援助が貢献しているのに、ほとんどの人が日本を知りません。昔、社会主義時代に多くの中国人が建国の手助けに来たそうで、我々日本人を見ても「チナ」と呼びます

タンザニアの漁業
 タンザニアの漁獲高は、湖から8割、海からは2割の割合です。インド洋の海岸線があるのに、海産物が少ないとは驚きました。それでも海岸線の漁村では、帆船や丸太船をよく見かけます。漁船が帰ってくると、すぐその場で奥さんたちが新鮮な魚を買い求めます。
 大きな町には魚市場があり、競りが行われています。競りの様子を見ていると、日本の魚市場を思い出しました。小魚類は奥さんたちが買って、すぐ近くの浜辺で鱗と内臓を取り除きます。おそらく露店などで油で揚げて売るのでしょう。ここでは魚を生で食べることはなく、すべて油で揚げるか、スープに入れて煮込むか、少し大きな魚になると保存食用に塩漬けにして家の前に吊り下げたりします。

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