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Spring No.25

高知県・ベンゲット州友好訪問団

町を走る乗合バス、ジープニー

高知県とフィリピンベンゲット州の友好提携25周年を記念して、平成12年2月16日から21日まで総勢13名の友好訪問団がベンゲット州を訪問しました。高知県海外技術研修員との再会やホームステイ体験と合わせ、これからの農業協力のあり方についても話し合いが行なわれました。また、高知県の小中高生からベンゲット州の子供たちに宛てた手紙も届けられ、新たな交流が始まろうとしています。

ベンゲットメモ

面積:

260,648ヘクタール
(高知県の約37%)

人口:

540,716人

州都:

ラ・トリニダッド

産業:

農業、鉱業


ベンゲットへと続くケノンロード



「ベンゲット州友好訪問を終えて」

団長 吉村 雄治

 ベンゲット州に到着後、表敬訪問したモリンタス知事は、5年前の橋本知事ご夫妻のご訪問を大変懐かしく思い出され、知事にくれぐれもよろしくとのことであった。その日の夜に、知事主催の歓迎パーティーが開かれ、ブグノセン、パガニバン元両知事や親善委員会のメンバー、元研修生たちと共に、心暖まるバギオでの友好交流の一夜を過ごさせていただいた。
 学校訪問では、ラ・トリニダッド中央小学校を訪れ、スパンガ校長始め大勢の生徒、保護者が待つ中、岸本小学校の生徒たちより託された手紙と多数の文房具を贈呈し、お互いの文通などを依頼した。ワンガルの特殊教育センターでも、日系二世の加藤校長先生のご好意で民族衣装を着た大勢の生徒の歌や躍りで歓迎され、ここでも文房具の贈呈を行ない感謝された。
 25周年記念植樹がワンガル試験農場にて行われたが、5年前の記念植樹も全てすくすく成長していた。そのあとロリータさんやウリガンさんたちの心のこもった準備によって野外昼食会が行われ、歓迎のための心づくしの豚一頭に舌鼓を打ちつつ、一つの輪になってベンゲットの踊りに興じた。
 日本のODA援助によるラ・トリニダッド市に建設中の病院も見学した。5月開院とのことで、この病院で働く予定の検査技師と看護婦2名が12年度研修生として来高の予定だ。また、州都ラ・トリニダッドロータリークラブのメンバーと約1時間懇談し、高知南ロータリークラブとの間でのこれからの友好交流も約束した。
 ベンゲットを発つ前夜には、訪問団主催による答礼パーティーが開かれ、州親善委員会、州政府関係者、研修生など多数お招きして、夜遅くまで25年の積もる話に花を咲かせた。
 最終日早朝、バギオにある北ルソン日系協会(アボン)を訪ね、名誉総領事のカルロス寺岡氏より北ルソンにいる日系人約2,500人の実状を承り、特に日系人の子供たちの就学のための援助の必要性を認識した。
 これまでの民間での交流や、県の実施している研修生受入事業など一定の成果を挙げているが、これからも官民あげての地道な交流が必要である。研修を終えて帰国した人たちが立派な指導者となり、又地域の中核となりベンゲット州の発展に寄与している事をこの目で見届けることができ、今回の友好訪問の役割を果たし得たと思っている。心のこもった歓迎に心から感謝しつつ、一同元気で帰国した。


「ベンゲットの想い」

矢野 仁

 エンジンの爆音とタイヤの振動を体に受けながら、バスでベンゲットに向う。朝、マニラを発って2、3時間は走っただろうか。みんな疲れた目で車窓の外を眺めている。やがて、バスが町にさしかかると、運転手はスピードを落とし団員もにぎやかになってきた。とうもろこし、ピーナツ、菓子など両手にかざした現地の人が乗客目当てに車窓に近づいて来るからだ。誰かが焼きびを買って車内に配ってくれた。甘味はやや少ないが、昔懐かしの味がする。
 6時間ほど走ったところでバスは山間の狭い道にさしかかり、山肌を縫うように登り始めた。後でわかったことだが、この道は大正の始め、日本人たちが建設したというケノンロードであった。しばらくすると峠に登りついた。向こうに町が見える。これがバギオだ。丘陵というか山岳というか、山の上まで家が建っている。
 町には乗合バス・ジープニーが急がしげに走り回っており、道の両サイドには、果物、野菜、木彫、ホウキなど土地の産物が豊富に並んでいる。想像以上に町には活気がある。
 州知事訪問のため、早速、州庁舎に向う。玄関前には大勢の元研修生たちが出迎え、久しぶりの対面でしばし感動と歓びのシーンが続いた。
 25周年記念植樹後のセレモニーでは、一頭の黒ブタが目前で生贄にされた。客を歓迎する最高のもてなしのようである。ブタは焚き火の上で丸焼きにされ、やがて私たちに振る舞われた。また、民族衣装で踊るのも客をもてなす習慣のようで、生活文化の違いを深く感じた。
 最終日にホームステイ先のご一家の案内で市内観光をした。当日は花フェスティバルと重なったこともあり、特に市場や観光地は人と車のラッシュであった。どこからこんなに人や車、産物が集まるのだろう。子どもを含め若い人が多く、老人が少ない。自転車やバイクといった二輪車を見かけないのも不思議である。さらに、人家が多い割に水の流れている谷、溝なども見当たらなかった。高地ゆえに「水」を大切にする生活なのだろう。考えさせられることの多い観光であった。
 ケノンロード建設記念碑にも足を延ばし、2,300人もの労働者が命を犠牲にして作った道であると伺い、厳しい条件のもとで働いた当時の人々の様子を想像してこの道路に特別の思いを呈した。
 バギオの人たちは、みんな元気で明るく心やさしい。エネルギッシュな目の輝きは、今後発展をする余力と期待が若者たちにあるからだと思う。先進国資本が汚してはならない。ゆっくりと成長してほしい。交流の輪が若人に広がっていくことを望んでマニラに向った。


「農業関係職員としてのベンゲット派遣」

中央農業改良普及センター  永尾 朱美

 私たち農業関係職員の派遣目的は25周年記念行事への参加とともに、昭和50年以降高知県へベンゲット州から多くの研修生が訪れ、平成8年より高知県からも農業技術専門員が派遣されていることから、農業技術協力についての協議、帰国研修生との意見交換、花き栽培を中心とした実態調査等だった。
 まず、食べ物についてふれてみよう。マニラから目的地のバギオまでの道中(片道約7時間)、道路沿いのトタン葺き等の小さな家が所狭しと並んだ中に高級住宅がぽつりぽつりと建っており、所々に多種類の屋台のような店が見られた。その中に鍋を10個くらい並べた店があり、何かと尋ねると、お惣菜が入っているとのことで、人々はご飯と好みの惣菜を選んで食べるようだった。食事をとる場所は、層によって違いがあるように聞いた。
 また、バギオのホテルの朝食では毎回野菜が少なく、きゅうり2切れのみで驚いた。聞くところでは、肉(鶏・豚)嗜好型のようだ。野菜供給基地の良さを上手に生かした暮らしを考えられないものかと思った。
 農業面では車窓から稲作が目についたが、マニラ等平坦地は常夏で、1枚の田に10人余りで田植えをしている光景から、青々と茂っている稲や、籾を干している場面まで色々な行程が一時期に見られた。  
 標高の高いバギオは最低10度、最高25度位の気温で野菜や花きの栽培に適しており、ラ・トリニダッドの野菜取引市場にはたくさんの野菜があった。ほとんどの農家は零細で人力に頼っている反面、花き栽培の実態調査では120人余りも雇用し、国際的な感覚で企業的経営をしているハウス栽培の現場も見学した。貧富の差が大きく、暮らしも農業も日本の戦後間もない頃と現代が同居しているようで、不思議な感じがした。
 農業協力のあり方についての検討では、害虫対策、花き栽培、育種バイオ関係など具体的な協議ができた。今後効果的な技術交流を進めるためには、ベンゲット州の農業事情や研修生の目的を十分に把握し、毎年派遣される人が次の課題について詳しく調査するようにすればよいと思われた。
 最後に、目的地への往復に時間がかかり実質3日間の短い滞在の中、25周年記念行事等盛りだくさんの行事に参加できたのは、調整などに骨折っていただいた高知県とフィリピンのみなさんのおかげだと感謝している。研修生と再会できた喜びと、総力あげての歓迎ぶりに感激し、言葉の壁を痛感しながらも良き仲間に助けられ、心に残る充実した旅となった。

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