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Winter No.24

21世紀に向けた青年国際交流

カタールの青年と有澤さん

 総務庁では、世界各国の青年との交流を通じて、国際社会の場で活躍できる青年を育成しようと、毎年「世界青年の船」「東南アジア青年の船」「日中日韓青年親善交流」「国際青年育成交流」の各事業を行なっています。今年は高知県から、有澤明彦さんが世界青年の船に、沢田憲良さんが日韓青年親善交流に参加しました。貴重な経験をされたお二人の感想をご紹介します。


培材大学の学生と教授に再会
(左から二人目が沢田さん)


「世界青年の船に参加して」

高知大学理学部3回生 有澤 明彦

 「世界青年の船」事業とは、日本と世界各国の青年が船で生活を共にする中で、お互いの友好と理解を深めることを目的とした国際交流事業です。私はこの事業の第12回に参加しました。たくさんの仲間と共に、インド洋を一周するかたちで西世界を見ることができました。
 船内ではセミナー、総括講義、グループ別研修、ディスカッション、クラブ活動、船内行事といった活動が行われました。私は特にイスラムの世界に関するセミナーに興味を引かれ、イスラム圏の参加青年と宗教、生活、文化などさまざまな事について話をしました。特に印象的だったのは、イスラム教の原理「コーラン」を読んだことです。イスラム教は神=自然と考えており、その自然法則は、私の専攻している物理学の法則と類似している点が多くあるということを知りました。
 クラブ活動では、音楽、サルサ(南米の踊り)、バレエを楽しむことができました。また、よさこいクラブを作り、たくさんの人に高知の踊りを踊ってもらうことができました。
 参加国はオーストラリア、バーレーン国、ベルギー王国、カナダ、エジプト、アラブ共和国、インド、メキシコ合衆国、ノルウェー王国、ペルー共和国、カタール国、セイシェル共和国、南アフリカ共和国、スペイン、トルコ共和国、アラブ首長国連邦、タンザニア連合共和国、そして日本国の17カ国です。オーストラリアとメキシコの参加青年はパワフルな人が多く、その力強いダンスを一緒に楽しみました。セイシェルの参加青年はとても親しみやすく、ゆったりとした音楽に軽やかな踊りを楽しむことができました。カタールの参加青年は物静かで、独特の香りがしました。タンザニアの参加青年はマイペースで、その流れる時間は日本の速さの半分くらいに感じました。トルコの参加青年はすっきりした人が多く、工夫された冗談をたくさん聞くことができました。ペルーの参加青年は話してみたい人が多く、彼らの言葉数には少し驚かされました。
 寄港地はセイシェル共和国、南アフリカ共和国、タンザニア連合共和国、アラブ首長国連邦の4カ国です。南アフリカ共和国ではスラム街を見ることができました。小さな家が重なるように並び、ボロボロの服を着た人がたくさんいました。貧しさのために学校に行けない子供がたくさんいるそうです。こういう国もあるのだと、正直思いました。そして、日本の豊かさを実感しました。
 この事業は一言で言うと、自分を見つける旅であったと言えます。自分は何が好きで、何に興味があり、何をしたいのかをより深く知ることができました。今まで見えなかった部分、見えてなかった部分を見つけることができました。また、これからの時代を共にするたくさんの仲間ができました。各国からたくさんのメールが毎日送られてきます。彼らは僕の宝物です。こういった交流事業は大切にしていきたいと思っています。最後に、この事業に参加するにあたってお世話になった皆様にこの場を借りて心からお礼を申し上げます。


「日韓青年親善交流の旅を終えて」

高知大学人文学部4回生 沢田 憲良

 9月末から約2週間、日韓青年親善交流派遣団の一員として韓国へ行ってきました。訪問したのは4都市で、ソウル、平昌、慶州、釜山、再びソウル、という順です。
 初日に少し驚いたことがありました。自由時間にソウルの街を歩いていたら、すれ違う人が時折こちらをチラチラ見ていきます。手ぶらで黙って歩いていたのに、日本人だとすぐにわかったようです。後で韓国人の友人に聞くと「そりゃ何となくわかるよ」と言っていました。そういえば視線の主はほとんどが若い人でしたが、特に意味はなさそうで「あ、日本人だ」ぐらいの感じでした。
 翌日、大学で日本語を学んでいる学生達と話す機会がありました。日本語学科のある大学は多く、志望者も多いそうです。ところが、ある人になぜ日本語を選んだのかと尋ねたら、「英語科志望だったけど落ちたから」という答えが返ってきました。あっさりそう言われたので、思わず苦笑してしまいました。とはいえ、その人の日本語はとても上手でした。
 また別の日には、子どもがワーワー寄ってきたことがありました。その時は団体行動で、しかも観光地で、傍から見たらいかにも日本人という感じだったので、目ざとい子どもたちがどこからともなく集まってきたのでしょう。みんな特にサッカーの話をしたがっていました。
 そんな風に、子どもは素直に、若者は少しシャイに、日本に対して少なからず興味を持っているという印象を受けました。予想していたよりもずっと日本人に対する印象は良いんじゃないかと思ったほどです。
 ところが、釜山で不意打ちを食らいました。よさこいを踊っていた時のことです。我々は、「日本代表親善云々」という横断幕を掲げて、本物のよさこい祭りさながら市内をパレードしていました。詳しい経緯は省きますが、ちょうど地元の漁港祭りがあり、合法的に飛び入り参加したのです。鳴子と法被を韓国まで持って行き、準備も周到にしていました。ところが、一部の地元の人達から「帰れ」と罵声を浴びせられるなどして一時はとても緊迫した状態になり、最後は逃げるようにして帰りました。相手は本当に一部の人達でしたが、これには団員全員がショックを受けていました。 
 さて、最後の日に朝から夕方まで自由時間があり、思いきって一人で行動してみようと、特急でソウルからやや遠い大田という町まで行きました。友達がいるので会いたかったからです。驚いたことに、その日はずっと駅の窓口や露店でこちらが口を開くまでは相手が日本人だと誰も気付いていませんでした。しかも途中2度も道を尋ねられ、「日本人です」と言ったら少々驚いた顔をされました。たった2週間でずいぶん馴染んだもんだな、と思うと同時に、日本へ帰るのが惜しくなりました。
 最後になりましたが、期間中は韓国政府側のガイドの方々が本当によくお世話をして下さいました。そのおかげで楽しく無事に任務を果たせたと思います。帰国後はコツコツと韓国語の勉強もしていますし、またこれから何度でも韓国へ行きたいと思っています。また、現状では少ないだけに、今後、高知県でも政・民間共に派遣や受け入れの交流事業などが増えることを期待します。その際には是非協力させてください。

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