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高知県友好訪中団旅行記


 平成14年10月15日から22日まで高知県友好訪中団が派遣され、安徽省合肥、寿県、海南省、上海を訪問、安徽省人民政府への表敬訪問や大泉村での豆腐交流などを通して安徽省人民との友好親善を促進しました。帰国団員の皆さんの報告を紹介します。


私たちを歓迎してくれた小学生たちの拍手に感激

寿県古城内を散策


2頭のししが待ち構える逍遥津公園の入口

【中国文化の源泉 安徽省訪問】

   訪問団団長  武内 孝幸

 安徽省外事弁公室の顧さん、呉さんの案内で「安徽名人館」を訪問。老子、荘子をはじめとする安徽省輩出の偉人を蝋人形にして展示、合肥市内の新しい見所の一つだ。中国最高指導部に就任した胡錦濤氏も安徽省出身とのことで、ほどなくここに同氏のブースもできるのだろう。

 次に合肥市野生動物公園へ向かった。園内は樹木が茂っているものの木漏れ日が多く、閑静な木立の中の園路を散策する。中心付近には売店や猛獣の演技場もあり、虎の演技のあと一般の客を檻の中に入れ虎と並んで記念撮影(有料)をさせていた。全く安全とのふれ込みだったが、これには少々驚いた。

 昼食休憩の後、投宿しているホテルの直前に拡がる逍遥津公園を見学する。国土の狭い日本の都市ではでは考えられないような広さだった。家族連れが多いので遊園地かと思えば、中心部には歴史に残る有名な武将の銅像があったり、歴史公園とも表現できるような多目的公園だった。


安徽省政府の皆さんとの晩さんは大いに盛り上がった

 散策中、行軍訓練中の大学生らしき男女約20人とすれ違う。真新しい軍服に身をつつんだりりしい若武者の姿に国防を重視する現代の中国が重なった。

 公園からホテルへの帰途、歩行者天国となっている商店街を回り道したが、古い建物のそばに、近代的なビルがあったりと、高率の経済成長を続ける中国を物語る風情だった。

 夜は、安徽省外事弁公室との交流懇談会に出席。温かく友好的な雰囲気の中で安徽省政府の皆さんと歓談した。県省の友好提携から8年、「さらに友好提携を深めましょう」という李副主任の言葉が印象に残る。宴は盛り上がり、最後は両県省の友好交流の一層の推進とお互いの健康を祈って乾杯した。

 


テレビでも紹介され有名になった大泉村

【寿県古城壁】

      宇賀 豊

 合肥から北へ車で約二時間、寿県古城の南門に達する。更に車で約十分間市街を走れば東門に至る。寿県古城壁は今から八〇〇年前の宋の時代に構築されたと聞く。延長七一四〇米の城壁は今もその勇姿を止めている。

 外側の下約四分の一は修築されているがその上は昔のままである。この城壁は城内の人々を洪水から守る為である。特徴は上に備えている銃眼で、外敵に対する防備のためだろう。昔万里の長城も紀元前五世紀周の時代に北方騎馬民族の侵入を防ぐために築いた城壁で、その後秦の始皇帝が約三十万の軍兵と数百万の農民を動員して完成させたと聞く。ここも完成までに何年かかったかは詳らかでないが相当数の人民が動員された事だろう。城門には直径が約四〜五十糎程度の軸棒に左右に開く観音扉があり、それを閉じて洪水を喰い止めたようである。

 もう一つはセメントの無い次代に煉瓦をどのように接着したかである。それは桐の実の油と餅米の粉を練り合わせたものを使用している。昔から中国では女の子が産まれると各家庭の庭に桐の木を植え、長じて嫁入りとなった時にその樹を切って箪笥や長持を作って嫁入り道具としたようである。薄紫の花が咲き茶色の実が成りそれから油を取るわけであるが、もう一方の餅米となると問題である。当時の主食は雑穀であったので米を食するのは一部貴族階級である。まだその上を行く餅米となるとどうだろうか。貴重品の中の貴重品だったろう。

 桐の油は各家庭に命じて供出させただろうが餅米は特別に耕作したのだろうか。何万貫の油と何万俵の餅米が消費されたか計り知れない。今でも城壁の煉瓦と煉瓦の間には白い粉を吹いたようなものが見られ八〇〇年の歴史の重味を感じさせられる。去年視察した平遥古城(世界遺産登録)よりも重味を感ずる古城である。それにしても外国人の観光客が来ていないのが良い。

 


海南島の希望小学校を訪問

【ふれあいの海南島】

      森木 楠恵

 合肥から廈門を経由して夜遅く海南省海口に着いた。翌朝、海南省児童発展基金会の職員の案内で地元の電信会社が新校舎建設を援助したという希望小学校を訪問。校門に並んだ子どもたちから大歓迎を受け思わず涙がでてきた。

 早速、校長先生から小学校の概要説明を受け授業を参観させてもらう。「地球は小さい。資源は有限。他の星には移住できない。」うん、なるほど。「無駄な資源を使わない。ゴミを放置しない。動物は愛護しよう。」なんて分かりやすい説明でしょう。

 緑に囲まれた中国最南端の島の小学校で、まさかこんな環境教育が行われているとは!「海南島に来て希望小学校を訪問する日本人は初めてですよ。」とガイドさんに不思議がられたが、それ以上に感心と感動を受けた小学校訪問だった。


美しい白浜が続く海南島三亜ビーチ

 海口―萬寧―三亜と観光地も回ったが、ホテルも衛生環境も本当に良かった。日本人観光客は少ないし延々と続く白浜は天然もの。海辺のマンションが400万円と聞けば、「いつかは海南島に」と自然に胸が高鳴ってくる。

 そんな夢を見ながら上海へと発ったが、普通の旅行では体験できない子どもたちや村民とのふれあいの旅に感謝しながら、また来年への思いを膨らませている。

 

 

【水のある風景】

      三宮 輝男


永い歴史を想像させる周荘の水路

 今回の旅の最後の訪問地は高層ビル群の上海の街を抜け出し西方に約1時間半バスドライブした浙江省の「周庄」です。

 天気は昨日までのギラギラの海南島とは一変、肌寒い曇り空。

 早めの昼食後、三輪タクシーに乗り(1人5元)街並み観光、八百余年の歴史を保つ往時の豪商「周宅」、「張宅」は、共に風格のある重圧な建物。とりわけ「張宅」が格式が上です。

 建物に入る時跨ぐ敷居のような横木の高さが違うでしょう。(ガイド談)なるほど、この家は前の堀割から敷地内まで水路を引き込み、商売、交通の便利も考えて建てられている様が窺える。

 堀割に柳  石垣に太鼓橋  旧家の連なり
    狭い路地  食べ物の匂い  小船に乗り船頭の唄を聞く

 本当に遠くに忘れていた風景の中に身を浸し、心癒して呉れる街「中国第一水郷」周荘でした。

 有難う「周荘」再見!



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