高知市・蕪湖市友好提携15周年記念旗に名前を記す

ニーハオ安徽 
高知県安徽省友好交流委員会
2001年1月発行 第13号


◆安徽省県に待望の希望小学校完成
 高知県日中友好協会
 結城 正秋、西井 由利子、南 岩夫、門脇 福義

◆高知県友好訪中団訪問記
 澤本 末雄、山崎 博司、宮田 稔、宇賀 豊

◆高知市・蕪湖市友好都市提携15周年記念
 高知市民親善訪問団
 高知市・蕪湖市友好都市委員会

◆進出第一号 蕪高産業有限公司の状況
 蕪高産業有限公司董事長 穂岐山 駿二

◆安徽省友好訪問団・
 安徽省農業経済貿易代表団来高



安徽省県に待望の希望小学校完成


歓迎の踊りと、それを見守る大勢の児童

 高知県日中友好協会が建設支援していた安徽省県馬家村希望小学校が完成しました。高知県民と安徽省民の友好のシンボルとして「知徽小学校」と名付けられた小学校では、現在277名の子どもたちが学んでいます。知徽小学校を訪問した高知県日中友好協会会員の方々から感想が届きましたので、高知市と蕪湖市との友好提携15周年及び日中友好協会設立50周年記念行事参加の様子と併せてご紹介します。


日中友好協会創立50周年記念北京集会
(人民大会堂にて)


「高知市民親善訪問団に参加して」    結城 正秋

 馬家村知徽小学校の訪問では、昔の小学校の運動会を思わす花輪の飾りつけ、高らかなバンドの演奏が我々を迎え入れてくれた。高知県民の善意による基金で建てられたことへの感謝と喜びを一生懸命表そうとしている。村民がぐるっと取り囲む運動場で、また校舎内で様々な形での熱烈歓迎風景が次々と展開されていった。
 稲穂の垂れる素朴な農村にやや不釣合いにも見える二階建ての白亜の校舎の誕生である。教室の中は実にシンプル、ハイテクの教材はない。テレビもラジオも見当たらない。パソコンなども想像できない。黒板が唯一の教具の如くであった。そこで展開される日々の営み、先生と生徒、子どもと子ども、教育の原点たる濃密な人間関係の構築を想像してみる。
 田中白歩先生が校名を揮亳された。そして、渾身の力をこめて落款を押した。さぞかし感慨深いものがあられたことであろう。
 高知と蕪湖の書道家の交流は長く、両市友好提携以前からずっと続けられていて、今も二年ごと、相互に訪問しあって書道展を開いている。日中両者に共通する書道文化の長い交流があって、この度の友好15周年記念につながったものと私は思っている。まさに民が官を動かして、今の両市の深いつながりとなり、人や物の交流はさらに大きく進もうとしている。
 北京では、大きなイベントが二つ待っていた。八達嶺での植樹祭と天安門広場の人民大会堂での日中友好協会創立50周年記念式典と祝賀会への出席である。
 植樹までの時間を有効にと、先に万里の長城見物を済ませてから植樹祭の場所へ行くと、もう名誉会長の村山富市氏の挨拶が始まっており、日本全国代表二千人がずらり勢揃いしていた。
 この年になって長城の麓に植樹とは…又一つ中国が身近になった思いがある。この苗木が根付き、大きく育った姿を見る事はない。子や孫にやってもらおう。
 植樹が終わって、一旦ホテルへ戻り作業の泥を落とす。衣装替えをして、いよいよお目当ての天安門広場の人民大会堂へ向かう。時々テレビで見て知っているだけ簡単に入れる場所ではない。女性も男性も最高にドレスアップし、各自手に手に赤い招待券を持って入り口への階段を上る。手荷物、身体検査があって進んでいくと、深紅の絨毯の先に更に階段が見える。真正面に巨大な中国画を見て左へ回り会場入り口に来ると、誰もが驚きの表情に変わる。
 植樹を済ませた全国各県代表2,000名と、中国千名による記念式典の大宴会がまさに始まろうとしている。壮観と言うべきか。
 全員着席して中国側副主席、他政府要人、日本側、日中友好協会会長平山郁夫氏、名誉会長村山富市氏、高知県日中友好協会会長鈴木康夫氏他、都道府県代表の入場である。拍手で迎えて式典は始まった。「日中友好協会創立50周年記念北京大交流集会」である。  
 「50年」の月日は長い。東西冷戦の中で様々な妨害、迫害と言ってもよい困難を乗り越えて、友好交流の歴史は築かれてきている。会長平山画伯は「…日中友好を願う見識ある多くの先人たちの懸命な努力によって…」と格調高い演説をされた。
 かくして、北京大交流会は順調に進行し終了した。
 北京の次に訪れた大連では、かつての教え子、知人、友人に逢った。結婚し、子どものいるマンションにも案内されたが、その住居の立派さ、豪華な家具の数々にびっくり。表面的にも見える中国社会の発展は、着実に個々の人民の生活向上につながってきている事を実感した。
 大連から上海を経由し、今世紀の一大イベント「中国訪問の旅」は終わった。お互いその成功を祝し、新世紀への新たな出発点としたいと思う次第である。



「日本人の中国人と呼ばれて」   西井 由利子 

 「日本人の中国人」。これは今度の旅行で私たちグループの仲間が私につけてくれた呼名だ。もちろん私は日本人。でも、あの敗戦で中国で孤児として育ち、帰国して17年が経った。しかし未だに中国語の方が流暢。それ故に旅行中は仲間から終始「日本人の中国人」と引っ張りだこで、私は喜んで走り回ったのだった。
 私は中国で育ち瀋陽師範学校を卒業後、教師として22年を過ごした。その間には農村の学校にも派遣され、その実態を身をもって体験した。だから今回、高知県民が300万円を募金し、それをもとに建築された安徽省 県の知徽小学校を訪問すると聞いて「これは絶対参加するぞ」と、早々と準備したのだった。
 10月18日夜、念願の蕪湖市に到着。翌日の朝、蕪湖市から2時間で目的の馬家村に着くと、農家が点在する広々とした広野の中に、立派な白亜の二階建ての校舎が目に飛び込んできた。中国の辺鄙な田舎では見たことがないほど立派な校舎が大陸の晩秋の陽を浴びて輝いていた。涙があとからあとから流れ出し、私はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
 新校舎に集合した生徒は、近郊近在の壊れかけたような校舎で勉強していたので、子どもたちの喜びと勉学心は如何ばかりかと想像された。生徒は二列に並んで「熱烈歓迎!熱烈歓迎!」と口々に合唱しながら迎えてくれ、運動場で色々な演芸を披露してくれた。帰る時にも「歓迎再来!歓迎再来!」と皆で合唱して送ってくれた。
 高知県民から日中友好の架け橋として贈られた大金がこのような立派な校舎となり、中国の教育に大いに光をあててくれたことを心から感謝して、その場を後にした。



「感動した小学校訪問」   南 岩夫

 3年前の7月1日、香港返還の日に北京にいた。そのときは高速道路が途中までしか完成していなかったが、今回は完全に仕上がっていて快適なバスの旅を実感した。中国の発展には目を見張るものがある。
 知徽小学校での児童全員の出迎え、また村民多数の出迎えに、久しぶりに感動を覚えた。可愛らしい子どもたちの表情を見ていると、小学校が新築されてよかったと思った。昔、中国を訪問すると、いつも熱烈歓迎の風景を目にしたが、久しぶりに中国の人々と交流ができた。次の小学校建設に向けて、更に努力したいと思った。今後ますます日中友好の輪を広げてゆきたい。



「私の訪中感想」   門脇 福義

 5年振りに訪中団の一員に加えて頂き、経済発展著しい国ならではの都市発展には目を見張るものがあった。以前、南京から蕪湖市間をバスで通った道とは様変わりの高速道が縦横に完成し、バスのスピードも130〜140キロと驚きだった。
 北京・上海・蕪湖ともに中心部から周辺へと高層ビルが立ち並び、建設中の高層住宅なども数え切れないほどの勢いで進行中と見えた。あの大陸で用地は総て国有地だからこそ、各種事業も計画が定まり財政が伴えば、交通網をはじめとする都市建設推進は思いのままという感じだった。
 それにしても農村との格差はこれまた著しい思いがした。何れ波及すると思われるが、それには時間がかかるだろう。我が国でも地方に金をかけるなの声が高まりつつあることと、なぜか重なるような思いがした。
 初めて訪れた馬家村では新しい希望小学校で学ぶ児童たちの大歓迎を受け、大変感激した。利発そうな児童たちが新校舎完成の喜びを全心身に表し、はつらつとした態度に感心させられたが、歓迎の後で大勢の上級生からサインを求められたのには恐れ入った。
 
 

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